メンタルを強くするってことを目指すに当たって、最も大切なリソースといっても過言ではないのが“心の余裕”。
なぜなら心の余裕がなくなると、
仕事のパフォーマンスも人間関係も自尊心も
全部一気にぶっ壊れてしまうから。
生命力(HP)がゼロになったら体が死ぬけど、
心の余裕がゼロになったら心が死ぬ。
そーゆー規模の破壊力があると思うんだよね。
そんなわけで、今日は「心の余裕」についての研究発表だ!
目次
心に余裕がないときは「本性」ではない
心に余裕がないと人はどうしてもネガティブになるし、
怒りっぽくなったり無駄におセンチになったり、
「自分になんか何の価値もございません、今すぐ爆散します」
みたいな気持ちになったりする。
でもさ、そういう気持ちに陥ってるときの人間の有り様って
僕は決して本当の姿とは思えないんだよ。
だって、よく眠ったり、お風呂にゆっくり浸かったり、好きなものを食べたり、好きな人としゃべったり、好きなゲームをしたり…ってことを満喫したあとなら、自分に対しても他人に対しても優しく寛容にポジティブに接することができるじゃん?
余裕がないときの姿が本性なのだとしたら、ポジティブな振る舞いは全部無理して取り繕ってる偽物の自分ってことになっちゃう。そんなこたーねえだろう?と。
これってつまり、
単純に心の余裕ゲージがどれだけ残ってるか?
というだけの問題だと思うんだ。
こんな風に「調子が悪いときの姿はその人の本質や本性ではない」と仮定するとして。
それでも、余裕をなくした状態で何かにチャレンジすればすぐ心が折れるし、余計に自信がなくなる。心が荒んだ状態で人と接すれば、誤解されたり軋轢が生まれたりキモがられて爆死したりするという厳しい現実はある。
だとしたら、余裕を保つために何をするのか?余裕をどれだけ守り抜くのか?余裕が減っちゃったときは何をするのか?みたいな予防と対策がすごく大切ってことだよね。
心の余裕を守るための「人間関係の整備」
心の余裕を保つor守るor回復させる
ってことを考えたときに最も重要になってくることだけを今日はお話ししよう。
それは「誰と一緒にいるか?」ということだ。
もちろん、大前提として単純な体力とかストレスとかも関わっているのだけど、見落とされがちかつ手付かずのまま残されがちかつ放っといたときの最終的なダメージが大きい、人間関係というものに絞ってお話ししたい。
なぜなら、これだけで長話になる予感がするからだ!笑
ちなみに先に言っておくと、今日お話しするのは
やべー人に囲まれてる場合の対処法だと思って欲しい。
そういう意味で刺激の強い薬かもしれない。
周囲の人から否定されるとどうなるか?
誰に囲まれているかはとっても重要。
「誰」とは言っても、家族とか恋人とか友達なんていうポジション的な話ではなくてね。あなたをどんな風に扱う人と一緒にいるのか?って話だ。
普段周りにいる人たちはあなたのことをどう扱ってくれてるだろう?
あなたの存在価値を認め、あなたが持つ能力を評価し、あなたの判断を尊重し、あなたに肯定的な言葉をかけてくれるだろうか?
それとも、その反対だったりする?
もしもそうなら、事は重大だ。
周りの人から否定的な目で見られ、否定的な言葉を浴びせられ、否定的な扱いを受ければ、自分自身のことが本当にしょうもない人間のように思えてしまうからだ。
そうなれば当然、心の余裕もゴリゴリに減ってしまう。
自分が本来持っている価値や能力や魅力や判断力は依然としてそこにあるはずなのに、否定的な扱いを受けるとさっきまで宝だったものが急にゴミに見えてきてしまうんだ。
僕のところに相談にくる人ってなぜだか優秀な人が多くて、客観的に見てすごい能力や経歴だったり誰にもマネできないスキルを持っていたりするのね。でも、それなのに彼らは自己評価が低い。
彼らの話を聞いていると、やっぱり慢性的に否定されてきた過去だったり、誰かと比較されて“劣った方”として扱われてきた経験みたいな、否定的な視線を向けられてきた経緯があったりするんだ。
それで、本当は手の中に宝があるのに「自分なんてゴミしか持ってませんので…」みたいな気持ちになってしまっているわけ。すげーもったいないよね。
スポーツの世界でもホームのほうがアウェイより勝ちやすいというのは有名な話だけど、これはホームのほうが観客からの応援が熱いからだとする研究がある。(審判の判定とか移動の疲れとか試合会場への慣れとかと比べても応援の影響が最も大きいという学説。まだ検証の余地はあるようだけどね。)
肯定的な視線を送られているほうが、心に余裕が生まれてパフォーマンスを発揮しやすいわけだ。
スポーツ選手なんていったら心も身体もタフな印象があるけど(印象っていうか実際そうなんだけど)、そんな彼らですら影響受けるんだとしたら、一般人の僕らなんかぐらんぐらんに揺さぶられてもおかしくないでしょ。
だからこそ、人間関係を整備するっていう視点はめちゃくちゃ重要なのよ。
「人間関係の整備」をもっとエグく表現しよう!
「人間関係を整備する」と表現すればちょっとエグさが減るかな?と思って言ってみたんだけど、要は付き合う人を選ぶってことだ。もっとはっきり言うと、付き合うべきでない人とはスパッと縁を切るということだ。(はい、エグさMAXになった笑)
それが友達だろうと恋人だろうと親だろうと関係ない。あなたの価値を毀損するような人がもしも身近にいるのなら、急いで距離を取らなきゃいけない。その責任があなたにはある。あなたの価値と誇りと幸福と人生を守る責任者はあなたしかいないのだから。
「嫌いなやつと簡単に縁を切る」みたいに捉えてしまうと自分勝手で悪いことをしてるように思えるかもしれない。けれど、そうじゃないんだ。あなたの尊厳を踏みにじる権利なんて誰にもないわけだから、これは実際には大切な自己防衛なんよ。
それに、人間関係を整備したからといって、「あなたの周りから誰もいなくなってしまう」なんてことも起こらないから安心していい。スパッと切らなきゃいかんほどやばい人ってのも、そんなに沢山はいないからね。
あなたを否定してくる人から身を守る3つの方法
さて、そんな“人間関係の整備”だけど、「縁を切る」以外にもやり方はあるので安心して欲しい。全部で3つあるので順番に解説しよう。
1.物理的に距離を取る(会わない、SNSをブロックするetc.)
でも最初に紹介するのはこれ。笑
なぜならこれが最も単純かつおすすめしたい方法だからだ。
あなたに対して日常的に否定的な扱いをしてくる人がいるとしても、その人を変えることはできない。相手は他人だからね。
もちろん、こちらの気持ちを伝え、「そういう否定的な言動はやめてくれ」と言うことで変わってくれる人も中にはいるし、最初にそれを試すのは良いことだと思う。でも、「嫌です」と真剣に伝えてもやめてくれない場合や、そもそも“あなたの気持ちをわかろうとする姿勢”が全く見えない場合は物理的に距離をとるのが最善だ。
要は、人間関係の整備だの、縁を切るだのと言っても「おまえとはもう絶交な!!」みたいな宣言をする必要はないってことだ。
会わなければ嫌がらせをされることもない。
連絡手段を断てば影響を受けることもない。
そうやって心の健康を守ることは、
すべての人に許された当然の権利なんよ。
何度も言うけど、これは現実逃避でもなければ相手への仕返しでもないからね。あなたの心を守るための手段のひとつとして覚えていてくれると嬉しい。
ただ、状況によってはなかなか物理的に距離を取ることができない場合もあるよね。
そんな場合のための対処法をこれからご紹介するよ。
2.心理的なシェルターを作る
“心理的なシェルター”とは、あなたの心の避難場所となる人間関係のことだ。
それは例えば、パワハラ上司に対する愚痴を言い合える同僚かもしれない。
あるいは、モラハラ家族から受けた言葉を否定してくれる友達かもしれない。
もしくは、信頼のおけるカウンセラーや何かの先生かもしれない。
形はどうあれ、あなたが受けた心理的な攻撃からあなたを守ってくれるような、どんなときでもあなたを肯定してくれるような人たちの存在は、あなたの心を守るシェルターとして機能する。
独りぼっちで攻撃を受け続けると自分が悪いような気持ちになってしまうけれど、シェルターがあればダメージを軽減することができる。
わかってもらえる、聞いてもらえる、受け入れてもらえるってことは、人間の心にとって想像以上にポジティブな影響を及ぼすものなんだ。
そして、そんなシェルターで心を回復すれば、やべー人から言われた言葉も冷静にフラットに捉えることができるようになる。
「あぁ、あの言葉のあの部分は論理的に破綻してんな。」
「あ、でもこの部分は一理あるわ。」
「でも流石にアイツの言い方は悪いよな。」
みたいな感じでね。
シェルターを作るコツは、周囲の人に自分の本音を少しづつ見せること。“他人に本音を言える人”になるための練習をすることだ。
「自分にはシェルターが全くない」と感じてる人は、周囲の人から見て「心が見えづらい」傾向にある。つまり、あなたがどんな気持ちでいるのかがわからないから、共感してもらいにくくなっているってことだ。
たぶん本音を出すのに抵抗があるからそうなっているのだと思う。だから、ちょっとずつで大丈夫。「ほんの少しだけ素の自分を出してみる」ということを練習のつもりでやってみると、次第にシェルター的な人間関係はどこかにできあがるからね。
そんなわけで、「心理的なシェルターを持つ」ということが“人間関係の整備”2つ目の方法だ。
3.他者からの否定に負けない心理スキルを身につける
最後は“自分の心を扱う技術”を身につけるということ。
正しい心の扱い方を身につければ、他人からの否定的な扱いも意に介さないメンタルタフネスを手に入れることができる。それがあれば、誰に何を言われても傷つかないようになったり、不当な扱いを受けたときにしっかりと反論し自分の権利を守ったりすることもできるようになる。
結果として、好きな人たちとは友好な関係を、嫌いな人たちとは適切な距離をとれるようになるため、人間関係を自らの意思でデザインできるようにもなる。
“人間関係の整備”として最強なのは、やっぱり自分を変えることなんだ。
ただ、なぜこれを最後に持ってきたのかというと、もしこれを最初に話したら自己責任論に陥ってしまう人が出てくる気がしたからだ。
「周りのせいにしないで自分をどうにかする」
という考えはもちろん間違ってない。
だけど、今やべー奴に囲まれちゃってる人がもしも状況を打開しようと考えるならば、一番最初に自己責任論を持ち出すのは作戦としては間違っている。
それは「一人の人間の“意思の力”よりも、“状況の力”の方が強いから」だ。
「心の余裕を慢性的に奪われる状況にいながら、努力して心の余裕を作る」なんてことを目指すのは、穴の開いたバケツを満杯にしようと必死で水を汲み続けるのと同じ。それってやるのは自由だけど、作戦としては正しくないよね。
バケツを水いっぱいにしたいなら、まずは穴を塞ぐのが先決。
だから、1と2の話を先にしたというわけ。
で、具体的にはどんな技術なのか?どうやって身につけんのか?って話だけど、この記事で語り尽くすことはできないんすよ。ぶっちゃけこれまでに書いてきたほぼすべての記事がメンタルタフネスを手に入れるための技術だから。
でもさすがにここまで読んでもらって、「解決策は過去記事です!これまでのやつ全部読んでね♪」で終わったらブチギレ案件だと思うので、ひとつだけお話ししようかな。笑
否定的な言葉に反論する技術
例えば誰かから「おまえは本当に何にもできないダメ人間だな」なんて言われたときに、そのまんま受け止めると心が傷ついてしまうよね。
ここで、一旦受け止めることを保留にして、
「本当にそうか?」と考えることからこの技術は始まる。
以下、実践例をご紹介しよう。
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<心の声スタート>
何もできないって言われたけど、本当に自分って何もできないんだっけ?
あれとかこれとかそれとかできることはあるっちゃあるよね?
つまりその部分は正しくないわな。
たしかにできないこともあるにはあるけど、だからってダメ人間とまで言われる筋合いはあるだろうか?できないことが一つもない人間なんてこの世にいないし、それによってダメの烙印を押されてたら世界中の人がダメ人間だよな。
ってことは「おまえはダメ人間」とか言われたけど、あんなもん気にする価値もないクソ発言だな。今回できなかったことを後々できるようにがんばればええって話やん。
<心の声おわり>
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と、いうような感じ。
こうして心の中で反論するわけだ。
もちろん最初からいきなりここまできれいに反論し尽くすことができない人もいると思う。でも、技術ってそういうものだから大丈夫だよ。練習すれば上手くなる。いま上手くないのはまだ練習してないからってだけ。何にも問題はないのだ。
今回お話ししたのはひとつの例に過ぎないけれど、何かしらヒントになれば幸いだ。
まとめ
・心の余裕はめっちゃ大事
・余裕ないときは本性ではない
・心の余裕を守るためには“人間関係の整備”
・否定的な言葉に反論する技術を身につけよう
というわけで今回の記事はおしまい…なのだけど、
最後の方に紹介した“心を扱う技術”については、今後がっつり指導するプログラムを開講しようと考えてます。詳しい情報はまた近いうちに(今度こそ本当に)公開できると思うので、興味のある方は楽しみにお待ちくださいね!
それではまたー!