仕事での失敗を怒られたり
責められたりするのは、
誰だって嫌なものですよね。
とはいえ、みんながみんな
同じ大きさのダメージを
負っているようには見えません。
どうしてあの人はあんなに怒られてるのに凹まないんだろう?とか
なぜ自分はこんなにも凹んでしまうんだろう?とか
不思議に思ったことはありませんか?
そこで、今回は、
怒られたときに心がダメージを負ってしまう仕組みと
そのダメージを軽減する方法について解説していきます!
目次
なぜヒトは怒られるとダメージを受けるのか?
これは前提の話なんですが、
怒られたり責められたり注意されたり嫌味を言われたり…
ということで心がダメージを受けるのは自然なことです。
これ、僕個人的には、
自然だけどよく考えたら不思議
不思議だけどもっとよく考えたらやっぱり自然
と感じる現象です。
だって怒られただけですよ?つまりは言葉を耳にしただけ。殴りかかってこられたわけでもなければ、刃物で脅されたわけでもない。
物理的には音の振動が鼓膜を揺らしただけなのに、どうして怖いとか感じるんだろう?
どうして心が傷ついて涙が出たり、
心臓がバクバクして体が震えたり、
落ち込んで何もしたくなくなったりするんだろう?
って考えたら不思議じゃないですか。
でもね、ここからさらにもっとよーーーーく考えると、あることがわかってきます。
人間というのは社会的な動物です。
つまり社会(集団)を形成することで生命の維持をしてきた種なわけです。
そんな動物にとっては、社会から排除されるということは実際に生命の危機に直結しています。基本的には排除されないように振る舞える個体だけがサバイブできる、というのが人間という種の性質ですからね。だから集団からの排除を予感させる出来事に対して危機感を覚え、不安や恐怖を感じ、そうならないための準備をできるように、これまで何万年という時間をかけて脳が適応してきたのです。
そんなわけなので、誰かから怒られたり嫌味を言われたりすることに対してダメージを受けるのは、人間という生物にとってごく自然なことなんです。
いつも言うことですが、まずはこんな風に「そうなっちゃうのも無理ねぇか」という視点に立って、現状を受け入れることが大切。
これを前提に話を進めていきましょう。
受けるダメージを軽減するには?
さて、「怒られてダメージを受けるのは自然だ」とはいえ、どうも人によって受けるダメージには差がありそうですよね。
同じような目に遭ってるのに、
アイツは全然食らってない気がする…
みたいなことってよくありますもんね。
同じことを言われても大ダメージを負う人と、
全然気にしない人に分かれるのはなぜなのか?
両者は一体なにが違うのか?
その違いの元となるのが“認知”と呼ばれるものです。
これはすなわち目の前の現象をどう解釈し、どう受け止めるのか?という部分のこと。(これを僕はまとめて“心の扱い方”と呼んでいます。)
例えば、
ちょうど先日、個別セッションをしていた際に
「経験のない業種に転職して間もない時期なのに、
無理難題を課されては失敗し、失敗してはひどく怒られる…
というループの中で自分を責めてしまい苦しんでいる。
会社に行くことすら苦痛に感じてきている。」
というご相談を頂きました。
この「仕事の失敗に関して上司に怒られる」
という出来事に対して、
「自分がダメだから失敗したんだ。怒られて当然だよな。」
と解釈すれば、自己否定的な気持ちになるでしょう。
逆に、「いや、こんなのそもそも無理難題だし、できなくて当然だよ。あいつ何1人で理不尽なこと言ってんの?あほやん」と捉えれば、過度に自分を否定することはないですよね。
ものすごい単純な例ですけど、
できごとに対して自分の心をどう扱うか?
によって結果が大きく変わるのがわかるでしょう。
とはいえ、
「だから解釈を変えましょう!
考え方を変えましょう!
使う言葉を変えましょう!以上。」
みたいな安いアドバイスで終わりにできるほど、ことは単純ではありません。
いや、何ならここからが本番といっても過言じゃないかも。
こういう現場で自己否定的な解釈をする人は、
常日頃から何かにつけて同じような心の扱い方をしているもの。
心にはクセというか基本方針みたいなものがあって、人間は普段はそれに従ってできごとを解釈するからです。
だからまずはその“心のクセ(基本方針)”を突き止めて、さらにそれがどのようにしてできあがったのかも探り、その上でクセを変えるための現実的なアプローチをしなきゃいけない。
というわけで、今回の授業ではこの部分を掘り下げて行きました。
自分の“心の基本方針”を探る
今回の方の場合、
「失敗するのはいけないことだ」
「責任ある立場であるほどに、失敗に伴う罪も重い」
という感覚を持っているということが、
質問を繰り返すうちに明らかになってきました。
こういう根っこにある人生観、世界観、自分観のようなものが自分自身の心を扱う際の基本方針となります。
「失敗はダメ」という方針の下に生きていれば失敗は怖くなるけど、
「失敗は普通」という方針に従っていれば別に怖くないし痛くもない。
もしも「失敗は良いこと」という方針の人がいるなら、その人はきっと失敗をうれしく感じるでしょうね。(あんまり会ったことはないけど)
今回の受講生はとても理性の優れた方で、「経験のない異業種に転職して間もないという状況から考えて、上司の言っていることは理不尽である」と頭ではわかっている、という状態でした。
しかし、それでも自分を責めてしまう。自己嫌悪に陥ってしまう。
これが心のクセ(基本方針)の恐ろしいところですね。
心のクセに対しては、頭脳を駆使しても抗えない。
ならばどうすればいいのか?
ここで必要なのは、理解ではなく実感。
“学び”ではなく“体験”が鍵を握っています。
「失敗してもダメじゃない」という現実を体験すること
どうして学びじゃなくて体験が必要なのか?
ってことについては完全に説明しようとすると、
ここから4000文字くらいはかかりそうなのでやめておきたいんですが、笑
一応簡単にさわりだけ話しておくと
「変化を促すべき脳の部位が違うから」です。
“心のクセ=心の基本方針”の働きをしている脳の部位は
理性(や言葉)の働きを司る部位とは別のところにあるので、
明るい言葉を自分に言い聞かせたり、ぽじてぃぶしんきんぐ(仮)を無理やりしてみても効果がないのです。
それってなんていうか肩が凝ってるのに脚を揉んでるみたいなことなんですよ、残念ながら。
それとは逆に、必要な体験を積み重ねていけば、専門的な知識なんか全くなくても心は変わっていきます。
なので、この方には「絶対に許してもらえる環境で、絶対に許してくれる相手に、絶対に許してくれそうなレベルのかわいい失敗をしてみる」という実践課題をお伝えしました。
これをすることで「安全が確保された状況で、“失敗しても別に大丈夫”という体験を積むことができる」のです。
体験の数が増えるにつれて、次第に心の基本方針が切り替わっていき、「失敗しても自分を責めないメンタル」が自然と身についていくでしょう。
環境を変えることも選択肢のひとつ
ここまでお話したことで自分自身を変えることはできます。
ただ、どんなに自分を変えたとしても
他人の性質が変わるわけではありません。
今回の方のように環境が厳しすぎるのであれば、
「別の環境へと移動すること」も視野にいれて良いでしょう。
幸いにして、この方は「実は転職先がほぼ用意されている」という状況だったので、僕としては勢いよく背中を押すだけでした。
「かつての良き仕事仲間たちに誘われている」とのことで、
理不尽な扱いを受けることがない上に
先ほどの課題を実践するのにも適した場のようで、
この方の今後の人生を考えたときにうってつけの環境じゃないかと。
僕はこうした“移動”を「逃げ」だとは思いません。
むしろ自分という人材の適切なマネジメントだと思います。
大切なのは、あなた自身が最大限、才能とパフォーマンスを発揮すること。
その環境に留まることが成長や成果につながるならいいですが、
ただ苦しみを我慢するだけになってしまうのであれば、
それはあなたという資源の浪費に過ぎません。
だからこそ、ときに環境を移動して、自分という人材を適切な場に再配置することは、自分自身のためにも、一緒に働く他者のためにも、長い目で見たときには社会のためにも最善だと思うのです。
ま、ぶっちゃけ他人とか社会なんて二の次でいいんだけどね!笑
ただ、こういう「自己中こそ最高の他者貢献だ」という考えも持っておくと、いざというときに最適な選択がしやすくなるので覚えておいてくださいね。
というわけで今回は以上です!
それじゃ、また!