ども、ぶなです。
男に二言も三言もあっていいじゃねーか
(もちろん女にも)
と思う今日この頃。
一度宣言したことを撤回するのって
一貫性が無いとかダサいとかで悪いことと思われがちだけど、
正直、そーなん?
って感じ。
いや、わかるよ?
気持ちとしてはわかるんだけどさ。
ただ、そんなことを気にしてると
自分の過去の発言や、過去の決意に縛られて
どんどんフットワークが重くなるだけ。
そして、
「過去に宣言したことをいつまでも達成できないダサい自分」
っていうセルフイメージが染み付くだけだ。
例えばだけど、
ある男が高校時代から弁護士を目指して勉強していて、
そのことを周りも知っていたとして、
大学を出る頃にはなぜかそいつが
ダンサーになりたくなってニューヨークに渡ったとする。
ここだけ見たら、
弁護士とダンサーの間に距離がありすぎて
たいていの人はびっくりするだろうし
え、前の目標はどうなったん!?
いいの?今までのキャリア捨てて!
もったいなくね?
てかダンサーってw
食えると思ってんの?現実みろしww
とか思うでしょう。
まぁその気持ちもわからなくはない。
でも、そんな彼が5年後10年後、
ダンスの世界で評価されて有名になって
ブロードウェイとかで活躍するようになったとしたらどうでしょう?
彼を馬鹿にできます?
っていうか彼の判断ってまちがってたんでしょうか?
弁護士の道を目指すのをやめて
全然違う世界に足を踏み入れた。
自分と周りに二言を言ったわけ。
「おれ弁護士になります!」
「やっぱやめます!ダンサーになります!」
って。笑
一貫性はない。
あまりにもないけど。
そこに彼を衝き動かす情熱があるなら、
それを選ぶのはモチベーション的な観点からは正解だと思うんですよ。
仮に彼がダンスの世界で大成しなかったとしても正解だと思う。
試行錯誤したら結論が変わっただけ
それってたぶん彼なりに
試行錯誤し逡巡した結果、
おれはこの道だ!という判断が変わった
ってことだと思うんですよね。
「親父も弁護士だし、なんかかっこいいかも」
って思って始めたけど、
実際に大学で4年間、法学を学んで、
リアルに弁護士の道が見えてきたら、
自分でも予想だにしなかったほど
まったく心が動かなかった、とか。
その代わりに
サークル入ってから始めたダンスに
人生観が変わるほどの衝撃を受けた。
みたいな。
人生って仮説を立てて、
実際やってみての繰り返しですよね。
で、仮説を立てて検証した結果として、
「あ、コレじゃないかも…」
「なんか違ったかも…」って思ったなら、
撤退するのが正しい戦略だと思いませんか?
「実はもうやりたくなくなったこと」やってないか?
二言は悪いこと、ダサいこと、まちがったこと。
首尾一貫することこそが正しい生き方。
みたいな価値観に縛られて、
自分の本当の欲求を押さえつけてたりしませんか?
今やってる仕事、
今目指してる目標、
ほんとうはもう全然やりたくなくなってたりしませんか?
自分が心の底からやりたい!と感じる衝動。
心理学ではこれを“内発的動機付け”って呼ぶわけですが。
それが全くないものをがんばり続けるってのは、
人間にとってはなかなか難しいものです。
(お金のためだけにがんばるってことも、
本当にお金が必要ならできるんだけどね。)
「やる気が出ないんです」って相談を受けてて、
それ以前に、おまえそれやりたいって本当に思ってるの?
って思っちゃう人とかたまにいるんですけど
やりたいって気持ちがないんだったら、
やりたくないのは当たり前じゃないすか。笑
その人の質問をより意味のある形に直すなら、
「私もうこれやりたくないんですけど、
状況的にやらなきゃいけないんです。」
「どーやって乗り切ったらいいですか?」
とかって感じですね。
そしたら、
自分が本気でやりたいと思える
“意味”をその仕事の中に見いだす
っていうのもよし。
あるいは、
もっと本心からやりたいと思える
別のことを始めるもよし。
色んな方向が考えられますよね。
とにかく、
自分の本心が以前と変わったなら、
それをそのままに受け入れていいんですよ。
変わったもんは変わったんだから。
二言も三言も言っていいじゃない。
そこが次のスタート地点だろ、と。
まとめ
・自分の過去の発言、決意に縛られなくていい
・心からのやりたい!(内発的動機付け)がないことはがんばれない
・やりたいことが変わったなら、それはそれでいい
というわけで、今日は以上です。
ありがとうございました!
Photo credit: Nicolas Alejandro Street Photography via VisualHunt / CC BY
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